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拾いもの

 9年程前、子供をひとり拾った。
 その頃私は中忍で、任務は主に里の外に出るCランクで、たまにBランクを引き受けていた。
 その日もCランクの日帰り任務を終らせて里に戻ってきた時には日も暮れてあたりは真っ暗、夕飯の時間はとうに過ぎて居酒屋が賑わう時間になっていた。


 仕事だとはいえ、朝早く夜遅い任務は好きになれない。
 睡眠不足になるわ、昼食がまともにとれない事が多いわ、果ては娼婦と勘違いしている馬鹿がいるわ。
 まったく割に合わない事このうえない。
 こんなにストレスの溜まる任務なんて、今は若いからいいがそのうち絶対に肌が荒れる。
 忙しさがひと段落ついたら、絶対部署替えしてもらおう。
 などなど、任務に対しての不満をグチグチと頭の中で捏ね回しながら人通りの少ない裏道を歩いていると、柔らかいモノを踏んでしまった。
「うぎゃっ」
 その柔らかいモノは右足の下で潰れたカエルの断末魔のようなうめき声を上げた。
 慌ててそれを踏んづけた右足を上げると、そこには茶色い物体が転がっていた。
 運良く体重を完全にかける前だとはいえ、かなり勢い良く踏んでしまったせいか足の下にあった柔らかいモノはぴくりともしない。
 大きさは中型犬くらい。
 暗いし丸くなって倒れているので詳しくは分からないが、しっぽも耳も無さそうなので、犬やたぬきじゃないのは分かった。
 服を着ていて毛皮も無さそうなので、人間かもしれない。
 一歩下がって観察してみる。
「……」
 茶色いのは頭から衣服まで泥だらけだから。
 動物かなにかに思えたのは、手足と顔を隠すように丸まっているからだろう。
 目をこらすと微かに背中が上下して呼吸しているのが分かったので、内心ほっとして声をかけた。
「こんなとこで転がってたら危ないわよ」
「……」
 返事はない。
 一瞬身を竦ませたようにも見えたが、夜目なので確実ではない。
「また踏まれるわよ?」
 もう一度そう言って、しゃがむんで返事をしないそれをつついてみる。
「……っ」
 今度は反応があった。
 茶色いモノは息を飲んで丸めていた体をさらに縮こまらせる。
「さっきも言ったけど、また踏まれるわよ。それとも踏まれたいの?」
 私は丸くなって力を入れて固くなるそれに溜め息をついて、立ち上がる。
「まあ、踏まれたいって言うのなら別にいいけど」
 そう言って背を向けた時、茶色いモノが口を開いた。
「…なんで、蹴らないの?」
 微かな、掠れた声は小さな子供のもの。
「……は?」
 驚いて振り向くと、茶色いモノが起き上がっていた。
 上体を起こしてこちらを見る顔も子供のもの。
 てっきりどこかの酔っ払いが変化の術でも使っているのかと思っていただけに、驚きは大きかった。
「あなた、もしかして子供なの?」
 驚きのあまり、そんな馬鹿な事を口走ってしまう程に。
「……見て、分からないってば?」
 きょとんとして聞き返してくる顔はどう見ても子供のもので、私は自分の認識力の無さにちょっとへこんだ。
「茶色い塊にしか見えないわよ」
 口惜しかったので、意地悪く見たままを言う。
 負け犬の遠吠えでしかないけれど。
「茶色いってば?」
 茶色い子供は首をかしげて自分の体を見る。
「顔も体も泥だらけじゃない」
 分かっていないらしい子供にそう言うと、茶色い子供は曖昧に笑った。
 と、私の腹部から情けなくも恥ずかしい音が鳴った。
 いわゆる腹の虫の鳴声だ。
 そういえば、今日の任務は忙しくて昼食も少ししか食べられなかったし、夕飯に至っては一口も食べていなかった。
 空腹感を認識して今日の任務を思い出し怒りが再沸騰しそうになった時、子供の声が耳に入った。
「今の…」
 周りが静かだからだろうか、どうやら子供にも腹の虫の音が聞こえたようだった。
 年頃の娘としては、いくら相手が子供だからといって恥ずかしい事には変わらない。
 慌てて私は赤くなった顔を背ける。
「……じゃあ、そういう事だから早く帰りなさい」
 何がそういう事なのか、言ってる私にも分からないが、とにかく恥ずかしかったので逃げるように再び背を向けた。
 歩き出そうとした時、またもや盛大に腹の虫が鳴った。
「……」
「……」
 私は自分のお腹を触る。
 空腹感はあるが、鳴った時のあの独特な空虚感は無い。
 子供を見ると、子供も私と同じようにお腹を触っていた。
「あなたもお腹空いてるの?」
 私の問いに、子供は小さく頷く。
 その姿に見捨てる事はなんとなく躊躇われ、私は自分のアパートに子供を連れて帰る事にした。



 茶色い子供はワンルームのアパートが珍しいのか、きょろきょろと物珍しそうに部屋の中を見回している。
「まずはお風呂に入って泥を落としなさい」
 そう言ってタオルを渡すと、子供おとなしく頷いて風呂場に入っていく。
 その姿を見送ってから、私は腕まくりをする。
「さて、何か食べられるものあったかしら…?」
 最近、日中いっぱいを任務で過ごす事が多過ぎて、まともな食材を買った記憶が無い。
 冷蔵庫を覗いてみたが、ほとんど空だった。
 早々にまともな料理を諦めて、台所を捜索する事にした。
 5分後、探索の成果はレトルト食品と缶詰めとカップラーメン2個が並べられていた。
 一人暮らしとはいえ、若い娘としてはちょっとどうかと思う品揃えだ。
 さて、どれにしようかと考える。
 レトルト食品と缶詰めは両方ともおかずとして十分に通用するものだが、いかんせんご飯が無い。
 お米はあるが、炊けるまで待つのは現在の空腹状況からちょっと辛い。
「……」
 私は無言のままヤカンに水を入れてコンロにかけた。


 一度目の湯が沸騰して、子供が風呂から出てくる気配が無いのでお茶をいれた。
 空になったヤカンに水を入れて再びコンロにかける。
 静かな部屋の中に、聞こえてくるシャワーの音に親元で暮らしていた頃を思い出していると、音が止まる。
 顔を向けると、子供が頭から水を滴らせながら出てきた。
「髪はちゃんと乾かしなさい」
 溜め息をついてタオルを取り上げて背後に回ると、子供は身を固くする。
「…怒ってるわけじゃないのよ?」
 まるで私が苛めたように怯えられたせいで罪悪感を感じて、できるだけ優しく言って子供をお気に入りのソファの足元に座らせた。
「ちょっとそこで待ってなさい」
 二度目の湯が沸騰した音がしたので、子供にそう言いおいて台所に戻る。
 カップ麺に熱湯を注いでソファに戻ると、子供は大人しく座って待っていた。
「じゃあ、この砂が落ち切ったら教えてちょうだい」
 子供の前にひっくり返した砂時計を置いて、私はソファに座って子供の頭をタオルで拭く。
「これ、なに?」
 少し力を入れるたびに頭を左右に振られながら、子供は興味深そうに聞いてきた。
「砂時計よ」
「時計?」
「触ったらダメよ?」
 私は緑に着色された砂が入ったそれを掴もうとする子供にそう釘をさす。
 触れようとした瞬間にそう言われて、子供はびくりと手を引っ込めた。
 怒られた子供のようなその反応に、私は溜め息が出そうになった。
 私って、そんなに怖そうに見えるのかしら。
「その砂が全部落ちたら3分経ったってことなの。だから、縦に揺すったりひっくり返したりしたら時間が分からなくなるの」
 ゆっくりと宥めるように子供の頭を拭きながら説明すると、子供は少し肩の力を抜いた。
 話をするにも何を話して良いのか分からないので、そのまま無言で子供の頭をタオルで拭き続ける。
 子供も黙ったまま、されるがままに頭を揺らしながら砂時計を見つめていた。


 沈黙を破ったのは子供だった。
「全部、落ちたってばよ?」
 砂時計を指差しながらそう言った子供に手を止めて、子供のまだ少し湿った髪からタオルを外す。
「じゃあ食べましょうか」
 台所からカップ麺ふたつと箸二膳、湯のみをふたつと先に作っておいたお茶をソファの前のミニテーブルに置く。
「これ、なんだってば?」
 向かい合わせに座った子供が、テーブルの上を指差す。
「インスタントラーメンよ」
「いんす…?」
 復唱しようとしてできないのか、単にわからなかっただけなのか、子供は首をかしげる。
「ラーメン」
「らーめん?」
 インスタントラーメンならともかく、ラーメンを知らないとは思わなかったわ。
「そう。まともな料理じゃなくてゴメンなさいね」
「?」
「…いいの、こっちのことだから。それより、熱いから気をつけなさいね」
 恐る恐る不器用に箸を握ってラーメンをつつく子供に苦笑してそう言うと、子供は黙って頷いた。
 はじめは箸でつついていた子供だったが、私が自分の分に箸をつけたのを見て、一口くちにした。
「どう?」
「うまいってば」
 そう言って、子供が笑った。



 それ以来、この子はたまに訪れるようになった。
 どうやら餌付けをしてしまったらしい。
「紅ねーちゃん、オレ、ラーメンがいい!」
 来る度にインスタントラーメンをねだる子供にちゃんとしたご飯を作ろうとししたこともあったが、その一言でふたりで食事する時はいつもラーメンになってしまった。
 それは10年近く経った今も変わらない。
「紅センセー、新製品のインスタントラーメン持ってきたってばよ!」
 子供は元気に今日もドアを叩いてくる。



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