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音が無くなった

 透明な水面に波紋が広がる。
 一般人はおろか忍びですら近づかないほどの森の奥にある湖。
 その澄んだ湖面はいつもなら磨き抜かれた鏡のように静かに周囲の風景を映しているのだが、今は広がる波紋がその風景を歪めていた。
 波紋を生み出しているのは子供達。
 広い湖の上をゆっくりと歩いている。
「う、うぅ……難しいよ」
 大きなからだの少年が湖の端を慎重な足取りで進む。
「……ちっ、めんどくせぇな」
 子供達の中では一番背の高い少年がバランスを崩しかけては持ち直すということを繰り返している。
「ふたりとも、もっとこっちに来たらー?」
 紅一点の少女は湖の縁からかなり離れた場所を他のふたりに比べて軽いテンポで歩いているが、たまに足がくるぶし辺りまで沈んでいる。
 そんな3人を見ているのは、湖の中央付近で立つ少年。
 彼の足元だけは微かな波紋も浮かべていなかった。
「3人とも上手くなったな」
 この訓練を始めて1週間、はじめは水面に立つことすらできなかった3人なのだから格段の進歩である。
 ナルトは満足げに笑って3人に向かって手招きする。
「こっちまで歩いて来れたら休憩だ」
 軽くそう言ったナルトに、少年達はナルトを見る。
 自分達と彼の間、約100m。
 少女はその半分程度の距離である。
 固い地面ならば短時間で到達できるその距離が今はとてつもなく遠い。
 湖の縁を亀の歩みで進む、深い場所まで行く勇気のない少年達は互いを見てこっそり溜め息を吐いた。


 3人が忍術アカデミーに入学して1年。
 暗部の『冥』の正体が同じ年齢の少年、うずまきナルトだと知ってから約2年が過ぎた。
 今はアカデミーに通いつつ上忍の親たちに鍛えられ、その上さらに冥を含む知合いの暗部が折りを見ては実地訓練をつける。
 そんな生活を続けているのだから、本人達が望む望まざるに関わらず3人は現在アカデミー在学中でありながらそこいらの下忍など足下にも及ばないほどの知識と技術を身につけていた。
 もっともそれは主に基礎体力と筋力、身を守るための体術が大半で、チャクラを使う忍術や幻術の類いは他のアカデミー生とはそう変わらないのが実情だった。
 さすがに変化の術や分身の術はマスターしているが、それ以外の術のほとんどは教えられていない。
 曰く、チャクラを使うには体力と気力を必要とするが、今の3人にはどれも足りないとのこと。
 親達だけならともかく、暗部達にまでそう言われては折れるしか無かった。
 約一名、最後まで食い下がった者がいたが。
 それはともかく、半月程前に暗部達から術を使うための基礎訓練を行うとナルトから通達があり、食い下がった一名、山中家第一子にして一人娘のいのは諸手を上げて喜び、今に到る。
 どうにかナルトの指示をクリアした時には、3人とも肩で息どころか起きあがれないくらい疲弊していた。
 チャクラを正確にコントロールして維持することは案外難しく上忍ですら完璧にコントロールできる者は少ない。
 そして水面歩行は細かなチャクラコントロールと維持だけでなく、集中力と的確な状況判断のできる冷静さ持続させるという忍にとって欠く事のできないポイントをこれでもかと鍛えられる面でこれほどとても合理的な鍛練であった。
 その反面、実行者は他の鍛練とくらべて極短時間でばててしまうというデメリットがあるのだが、それを知らない3人がその困難さに泣きそうになったことは親達には絶対に秘密だと誓いあうのであった。



 翌日の事もあるからと早めの終了を言い出したナルトに食い下がったのは、いつものごとくいのだった。
 いつもならこれ以上は無理だとシカマルが反対意見を出し、チョウジがいのをなだめ、その様子に苦笑しつつナルトがいのを言いくるめて終了するのが大まかな流れだ。
 しかし今日は違った。
 へたばって動く事すら億劫なはずの3人が口を揃えて続けると言う。
「3人とも、もう動けないだろ?」
 呆れたと溜め息混じりにナルトが言うと、弱々しくであったが3人は首を横に振る。
「まだ、だいじょうぶよー?」
「ぼ、ぼくも…」
「めんどくせぇなんて、言ってらんねーからな」
 シカマルの何かを匂わせる言い方に引っ掛かったが、ナルトは何も聞かずに苦笑した。
「体が動かないくらい疲れてるのにか?」
 呆れを含んだ声に、3人は悔しそうな顔をする。
「無理をしても怪我するだけだ。自分の限界を知ることも必要だ」
 諭すような口調になるナルトに、それでも食い下がろうとするのはやはりいのだった。
「まだ続けられるったら、続けられるのー」
 そのだだっ子のような口調に、さすがに呆れるシカマルとチョウジ。
 とはいえいのの声は弱々しく、体力の消耗を如実に表している。
 ナルトは溜め息を吐いていのの横に膝をついて座る。
「言っただろ、いの。力の全てを使い切るような行動をとる忍は三流以下だ。オレ達は任務を完遂して里に戻ってこそ価値があるんだ」
 顔にかかるいのの長い前髪をそっと後ろに梳く。
「分かるな?」
 ナルトが目を合わせて念を押すと、いのは拗ねて頬を膨らます。
「……そこまで言うなら、次は忍術の勉強をするか?」
 まだ納得できないと表情で訴えるいのに、ナルトは意地悪く笑う。
「え?」
「やる!」
「あははは…」
 からかいを含んだその言葉に、ひとり嬉しさを隠さずに反応を返したのはいのではなくシカマルだった。



 忍術の勉強の為にナルトのアパートへと場所を移し、4人は順にナルトの家のシャワーで汗と汚れを流す。
 最後になったナルトが浴室から出てきた時、3人は息を飲んだ。
 怪我だらけのナルト。
 黒のランニングから出た腕だけでも数え切れないほどの打撲跡や裂傷の跡が生々しく残っている。
 ただ、その怪我が暗部の任務で負ったものではない事はすぐに分かった。
 青く腫れ上がった打撲の跡はアカデミー生の3人が見ても急所と呼ばれる場所にはなく、その上多数の人間がつけた痕跡も見てとれた。
「それ、どうしたの…?」
 チョウジが辛そうに顔を歪めて訊く。
 痛々しい傷にいのとシカマルの表情も歪んでいる。
 以前からうずまきナルトが里の多くの人間から毛嫌いされていることには気がついていた。
 けれどその感情が暴行などの行為に結びつくとは思っていなかった3人には衝撃的だった。
「別に、お前達が気にする事じゃない」
 ナルトは表情を出さずにぽんぽんとチョウジの頭を軽く叩いて、いつものオレンジの上着を羽織る。
「気にするわよ…」
 それを聞いたいのが力なく口を開いた。
「どうしてそんな怪我してるの? どう見たって暗部の仕事のじゃないじゃない!」
 ナルトの上着を掴んで、泣きそうな声で詰め寄る。
 その後ろでシカマルも同様に顔を顰めてナルトを見ている。
 3人の様子に困惑して視線を彷徨わせたナルトは、しばらく考える。
「……知りたいのか?」
 3人の視線が集中する中、ナルトは不思議そうに尋ねた。
「…いいの?」
 驚いたチョウジが疑わしげに訊く。
「ああ、選択権はお前達にある。だが、お前達が聞きたがった事はこの里の最高機密のひとつとされている。知ってしまえば後戻りはできないぞ」
 脅しのようなこと言って、ナルトは3人を見回す。
「最高機密って、オレ達が聞いてもいいのか?」
 シカマルがもっともな事を訊いたが、ナルトは平然と答える。
「お前達がオレの事を知って、記憶を消されなかった時点で関わってしまっているようなもんだからな。しかもお前達はじーさんの話に乗ったんだ、許可なんて今更必要ないだろう」
「……うっ、それは確かにそうだけどよ」
「知りたくないならこのまま家へ帰れ。じーさんにも伝えておくから心配するな。知りたいならここに残ればいい」
 強制はしないと伝えるナルトに、いのは即答する。
「私は、聞くからね」
 迷いのないその声は、いのの決意の現れでもあった。
「ま、仕方ねぇよな。毒を食らわば皿までだ、つき合うぜ」
「僕も。このままだったら気になってご飯が食べられないしね」
 シカマルとチョウジも苦笑しながらいのに続く。
 声は笑っているが、3人とも表情は真剣だった。
「そうか」
 ナルトは一言で承諾を表すと、いくつかの印を結んでもともと三代目の結界が建物を包んでいた中にもうひとつの結界を作る。
 その瞬間、部屋の中から音が無くなった。
 外から漏れ聞こえていた騒音も木々のざわめきも何もかも一切耳に入らなくなる。
「なんだ、これ…」
 シカマルが眉間に皺を寄せて耳を押さえる。
 いのとチョウジも違和感を覚えたのだろう、それぞれが耳や額に手をあてる。
「消音の結界だ。これでこの部屋の中の音は一切外には漏れない」
 ナルトは棚からマグカップを取り出してテーブルの上に置く。
 その音が異様な程大きく聞こえて、ナルトは眉を顰めた。



 ナルトが話し終えると、部屋にはまた音が無くなる。
「九尾の狐はまだオレの中で生きてるからな、大人達の言う事もあながち間違いじゃない」
 後はお前達がどう思うかだ。
 最後にそう言ったナルトの声は淡々としていて何の感情も篭っていなかった。
 いの、シカマル、チョウジの3人は黙ったまま俯いく。
 痛いほどの静寂が部屋を満たしてそれぞれの鼓動が耳に聞こえてきそうな状況の中、いのは俯いたままナルトの服を握った。
「私にとっては、ナルトは冥で、冥はナルトなんだからね…」
 小さな呟くような声でそう言ったいのに、ナルトは肩の力を抜く。
「……いの」
 小さな声でナルトがその名を呼ぶと、いのは顔をぱっと顔を上げてナルトの顔を見つめた。
「九尾がいるとかいないとか、そんな事関係ないんだからねー!」
 そう大きな声で叫んだいのに、シカマルとチョウジが同時に吹き出した。
「やると思ったけどな…っ」
「やっぱりいのはそうだよね」
 耳元近くで大声を出され、驚きに目を見開いて硬直しているナルトを見て笑いが止まらなくなったのか、チョウジとシカマルの笑い声は大きくなる。
「ちょっとー、なに笑ってるのよー!」
 いのが振り向いて後ろで大笑いしているふたりに怒るが、それがさらに笑いの引き金になったのかふたりは腹を抱えてうずくまる。
「は、腹がいてぇ……っ」
「だ、駄目だよシカマル、そんなに、笑っちゃ…っ」
 チョウジは大声で爆笑しているシカマルを窘めようと声をかけるが、本人自身も震える肩と声が笑いをおさえきれていない事を如実に語っている。
 これまでと変わらない3人の姿に、ナルトも無性に笑いたくなった。
「…あは、あははははは……っ」
 笑いながら、ナルトは服の裾を掴んだままの少女の肩を抱いた。
「ナルト?」
 怪訝そうに顔を覗き込もうとする少女の肩に顔を埋める。
「……よかった」
「…うん」
 ナルトの震える背中にいのはゆっくり手を回した。



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